施愛東博士の講演を拝聴して我用日语, 真对不起
。
日本語ですみません。忘れないうちに記します。
施氏の発表は、非常に刺激的なものでした。
中国で起こった学術革命は、日本
民俗学にとっても非常に興味深いものです。その結集の力には驚かされます。
日本では、柳田国男とその弟子たちの第一世代、そして1950年代末から生まれた学院派の第二世代が、20世紀民俗学を作り上げてきました。しかし、その手法は「歴史民俗学」にあまりにも偏り、現代
社会に適応できなくなっています。1990年代からは、これらの20世紀民俗学とは異なる多様な民俗学が生まれつつありますが、どれも今の日本民俗学を代表できるような大きな力を有しておらず、日本民俗学の統一的な
研究の方向性は生まれていません。むしろ拡散している状況と言っていいでしょう。
この拡散状況は、20世紀民俗
学者から言わせると、否定的な状況になるのですが、21世紀の新しい民俗学の局面を生み出すためには、むしろ当然の肯定的な状況だと私は考えています。
さて、そのような日本民俗学の拡散状況のなか、中国民俗学のように第三世代が結集し一つの運動体となることは、かなり困難な状況にあります。研究分野が分散しているため、民俗学という一つの言葉で統一した方向性を生むことができません。また、研究者の能力レベルにも大きな差があり、現在の日本民俗学が抱える問題への危機感も共有されていません。そういう危機感を共有できた中国民俗学の第三世代をほんとうに羨ましく思えます。
中国民俗学の学術革命を見ると、日本民俗学の第二世代が起こしたアカデミズム化が彷彿とさせられます。和歌森太郎、宮田登、福田亜細男などに代表される学院派民俗学は、多くの研究者を大学教育システムのなかで再生産し、その勢力を拡大しました(私もその一人です)。その過程で、日本民俗学をもともと支えていた非職業的(non-professional)研究者を、暗黙のうちに排除しました。それは民俗学を普通の学問とする上で、重要かつ必要な作業だったのですが、日本民俗学の特徴であった実践的な「野の学問」の性格を消し去るという副作用も起こしてしまいました。結果、社会から切れた役に立たない学問に日本民俗学はなってしまい、社会的な存在感を失っているのです。そして、その後、学院派民俗学は、歴史民俗学に固執しすぎたために、現代的な問題に対応できず、その学問的力を失っています。
中国民俗学の第三世代の登場は、民俗学の発展過程からいえば当然の出来事と思われます。問題は、これからの学問的独自性の追究です。第三世代は過去の世代に比べ、よりアカデミックな志向が強いでしょう。そのため、これから
文化人類学や社会学、
宗教学、文学、歴史学など他の学問と対抗して独自性を確保し、学科(discipline
)を確固たるものとして確立する作業を続けるでしょう。そのなかで他の学問とは違う独自性をいかに打ち立てるかが、今後重要課題となるでしょう。
日本の学問状況からいえば、民俗学だけの独自性を確保することは、かなり困難です。すでに多くの学問が学際的、脱領域的になって融合し始めており、学科の確立すらあまり意味をもたなくなっています。そういうなか、中国民俗学の第三世代が、いかなる独自性をもった民俗学をアカデミズムのなかで作り上げるのか、私たち日本民俗学の「結集できない第三世代」は、とても興味あるところです。注目しております!
民俗学
论坛 2010-8-3 12:05
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看来王京只翻译师兄指定的部分。那么剩下的我来翻译吧。以下蓝色文字部分即是菅丰老师35# 的回复内容的中文翻译。标题:听了施爱东博士的报告 使用日语发言,对不起!趁还没有忘记,记述如下。
施氏的报告,是非常令人激动的。在中国发生的学术革命,对日本民俗学来说是一件非常令人感兴趣的事。我为你们团结的力量感到震惊。
在日本,由柳田国男和他的弟子们形成的第一代,以及由产生于20世纪50年代末期的学院派学者形成的第二代,创造了20世纪民俗学。但是,他们的方法太过偏向于“历史民俗学”,已经无法适应现代社会。虽然从20世纪90年代开始,不断出现有异于此前的20世纪民俗学的多种多样的民俗学,但是它们都不具有代表现在的日本民俗学的能力,所以日本民俗学没有产生统一的研究的方向性。毋宁说现在是处于一种扩散的状况。
这种扩散的状况,在20世纪民俗学者看来值得否定的,但是,为了21世纪新的民俗学局面能够诞生,我认为毋宁说是一种当然值得肯定的状况。
在日本民俗学的这种扩散的状况中,像中国民俗学的第三代那样团结起来形成一个运动主体,是非常困难的。由于研究领域的分散,无法产生由民俗学这样一个名词统一起来的方向性。此外,研究者之间的能力有着很大的差异,对现在的日本民俗学存在的问题的危机感也无法形成共识。能够对这种危机感形成共识的中国民俗学的第三代,实在是令人羡慕。
看到中国民俗学的学术革命,使人仿佛想起日本民俗学的第二代发起的学院化。以和歌森太郎、宫田登、福田亚细男等人为代表的学院派民俗学,通过大学教育系统再生产了大量研究者,扩大了自己的势力(我也是其中一员)。在这个过程中,原来支撑着日本民俗学的非职业(non-professional)研究者被默默地排除了。这在使民俗学成为普通的学问上是一项重要的工作,但是同时也产生了抹消掉日本民俗学作为实践性的“野的学问”这一特征的副作用。其结果是,日本民俗学变成了与社会分离的,没有实际作用的学问,失去了在社会上的存在感。同时,那以后学院派民俗学过分固执于历史民俗学,无法应对现代的问题,也失去了它的学术力量。
中国民俗学第三代研究者的登场,从民俗学的发展过程来说是当然的结果。问题在于追求以后的学术的独立性上。第三代研究者与过去的世代比起来,有着更加强烈的学院派志向。因此,从现在开始应该不断进行确保民俗学能够与文化人类学、宗教学、文学、历史学等其他学问相抗衡的独立性,确立一个学科(discipline
)的牢固基础的工作。在这个过程中,建立起异于其他学问的独立性,是今后的重要课题。
就日本的学术界的现状而言,仅仅确保民俗学的独立性是很困难的。有很多学科已经开始了学际的、不分领域的融合,学科的确立这一问题本身也失去了意义。在这样的情况下,中国民俗学的第三代研究者,如何在学术界建立具有独立性的民俗学,我们这些日本民俗学“无法团结起来的第三代”非常感兴趣,并且正在关注。
实际上,菅丰老师回复中的倒数第二段,恰如福田老师在会上对菅丰老师的反问一样:你们和历史民俗学说“再见”以后,和什么说“你好”呢?中国的第三代民俗学研究者当然没有也不会和历史民俗学说“再见”,纵观中国民俗学的学术史,大概在学术上也没有什么可以说“再见”的既有的明确的对象,但还是存在一个问题,也就是和什么说“你好”呢?菅丰老师当时的回答,现在无法仔细整理了,但是我斗胆说一句,菅丰老师似乎还没有找到可以说“你好”的对象。但是,他的态度是,首先要揭示有问题存在这样一个事实,也就是首先要把危机放在大家的鼻子底下,让大家知道存在这危机,需要革命,也就是他在这个回复里说的,对民俗学面临的危机形成共识。同时我记得,菅丰老师还说了,目前我能做到的只有这一点。我的记忆是否正确,理解是否切当,还要请菅丰老师再次在此阐述。
我马上要出发去中华街凑关帝诞的热闹了,希望回来以后看到大家的进一步讨论。菅丰老师的发言我回来再翻译,或者烦王京代劳。匆匆译就,恐怕有不少错别字或不当之处,万望海涵。中华街关帝诞拜神部分结束了,游神部分下午5点开始,趁这个间隙回学校研究室修改了一下译文,应该比原来更准确和通顺了。翻译要做到信雅达真的很难啊!另外,译文中紫色的“普通的学问”一词,希望菅丰老师解释一下。是您在31号的会议上提到过的福田老师所讲的“普通的学问”吗?其意义是什么呢?是指学院化的,遵循与其他学科相同的游戏规则的,可以与其他学科进行平等的学际对话的学科吗?(菅先生、「普通の学問」という言葉ですが、説明していただければ幸いに思います。これは、先生が31日の研究会で言及された、福田先生のおっしゃった「普通の学問」と同じものですか?その意味はなんでしょう。アカデミックで、他の学問と同じルールを共有し、他の学問と平等的に対話できる学問という意味ですか。)[民俗学论坛:
小人家 于 2010-8-4 13:50 编辑]
感谢小人家彭博士的翻译。。。。
http://www.chinesefolklore.org.cn/forum/viewthread.php?tid=16255&extra=page%3D1&page=3